3才頃から折り紙を始めたらしいです。幼少時には吉澤章『美しい折り紙』、河合豊彰『おりがみ歳時記』などを読みながら、ほとんど物真似による創作をしていた覚えがあります。
小学4年生頃、あの『ビバ!おりがみ』(作:前川淳/著:笠原邦彦)に出会い、決定的に折り紙の世界にのめりこむことになります。その衝撃たるや、ちょっと言葉に表せないくらいです。ショックのためか、それまでの擬似創作作品は廃棄してしまいました。今から思うとちょっと惜しいような気がしないでもありません。しかし折り図が幾つか残存しており、一・部・をかいま見ることができたりします。
多くの折り紙者と同じように、死ぬほど「悪魔」を折った日々。よもや将来その「悪魔」の折り図を描く機会を得ようとは‥‥当時は夢にも思わなかったことです。
ビバ!シリーズで笠原節に親しみ、中学生の頃はもっぱら笠原邦彦さんの著書を読んで(まさに“読んで”)いました。笠原さんの著作を通して、伝承作品やシンプル作品にも目を向けるようになっていきました。
1993年4月、日本折紙協会に入会。入ってから2冊めの『おりがみ』に載っていた季刊『をる』の創刊お知らせの広告を見て、すぐに申し込みを。今思うと、なんというタイミングの良さでしょう(笑)。
『をる』創刊号にこれまた衝撃を受け、折紙探偵団の存在を知ります。やはり、即座に入会。届いたバックナンバーにさらなる衝撃を受け、『をる』共々読みふけりました。“ビバ・ショック”に続いて、私の中の「折り紙の世界」が大きく広がった瞬間でした。
今に繋がる作品づくりは、『をる』以降に始まりました。やはり折紙探偵団のメンバーによる作品の存在が大きかったですね。複雑な折り紙は、前川さんとモントロールさんの作風くらいしか知らなかった私には、色々な作風がとても新鮮でずいぶんと触発されました。
堰を切ったように産まれた作品を持って、探偵団の例会に参加するためおりがみはうすを訪ねたのは、その年の秋頃だったでしょうか。
翌年、高3の秋だというのに、文化祭で一教室借りて「小松英夫創作折り紙展」などという企画をやってしまいます。好評を得ましたが、何故か褒められるごとに「これじゃいかん、こんな作品じゃ決定的にダメだ」と思ってしまったのが、その後のコールドスリープに繋がることに。やれやれ。しかし、結果的には折り紙について考える良い契機となってくれました。こんなヒネクレ者に全面的に協力してくれた友人たちどうもありがとう。
1996年。探偵団の縁で、『をる』14号「創作の現在形」で紹介していただきました。今となっては“過去のもの”となった作品を目にすることが出来ます。
それにしても、インタビュー中で「寡作でも構わない」と言い切ったとおり、本当に寡作の道を歩むことになるとはね‥‥。
ところで、記事に「『世界のおりがみ展』で『ステゴサウルス』が奨励賞を受賞」とあります。これは実は「トリケラトプス」の間違いなんですが、こいつは闇に葬らせて下さい。本気で小3の折り図より恥ずかしい‥‥賞状も協会に返したいくらいダ‥‥。全ては一時の気の迷いとしか思えません。
その後、色々あって“自分の作風”に目覚めてみたり、折り図を描いて発表していくことになります。詳しくは各作品の解説にて盛大にしゃべっておりますのでご覧下さい。
1998年には、OrigamiUSAの招待作家としてコンベンションに参加。初めての海外で貴重な経験をさせていただきました。OUSAからの候補探しの問い合わせに、若年の私の名前が挙がったのも全て探偵団の縁です。感謝。
‥‥これは探偵団礼讃をする文章なんですか?(笑)
ええ、それだけお世話になっているってことです。
折り紙の可能性を追求しながら創作活動中‥‥だと思い込んでみたい。