最初からウサギを作るつもりではなく、「猫の胴体」を模索している内に副次的に得られた構造を元に軌道変更したものです。
方法論としてはリス→馬の路線を踏まえたものですが、一度折り重ねた紙をさらに折る、という仕込み的な折りを施した上で使っている点で、より分かりやすく、また折りやすい構造になっています。前脚のカドを“仕込んだ”後に、造形上余計な線を隠すような構造を足すというのが基本構造に至るまでの発想の流れで、これに顔のパターンが加わればほとんど完成です。
しかし、全体が平面的な造形でなんとなくパッとしなかったので、立体的に出来ないかと試しに折ってみたら、座った姿だったのが立った姿へと自然にポーズが変わりまとまってくれました。これも紙の方から勝手に形になったという感じです。
もうちょっとだけ耳が長ければ‥‥と思ったものの、今の形を壊さずに修正することは苦しいので仕方がないとあきらめました。本物のウサギにはこれくらいの長さの耳の種類は結構いるのですけど、絵心としてはもう少し欲しかった。
ところがいくつも折ってみる内に慣れてきたのか、今ではあまり気にならなくなりました。これは「折る体験」と「見立てへの愛着」が四次元的処理を経て生じた認識なのかもしれず、安易に受け入れていいものかは悩ましいところですね(笑)。
折っている内に好きになるという、愛好家なら身に覚えのあるこの経験ですが、実際どういった認識過程なのか知りたいものです。折り鶴も、折る過程抜きで造形だけポンと与えられたものだったら、今のような世界的な認知はありえなかっただろうなあと思ったり。折り紙造形が成立するために「折る体験」はどれくらいの影響を与えているのでしょうか。
風呂敷をひろげるのはこれくらいにしておきましょう。写真の作例では、手足・顔・耳の仕上げが折り図で発表したものと変わっています。今のところこれが決定版です。耳はちょっと細かい折りではありますが、だいぶ印象が改善されるので採用しました。